星野氏墓所

星野氏は、嘉禄2年(1226年)にこの地に入封して(『星野家譜』では貞応2年(1223年)のことという)、本星野に館居を構えて以来、18代にわたって生葉郡(現在のうきは市と星野村の区域)に勢力持ち続けました。天正14年(1586年)、星野鎭胤(吉実)と鎭元(吉兼)兄弟が高鳥居城(現糟屋郡)で討死したことから、一族は離散してしまいました。

明治22年5月、星野氏末裔の人達により本星野の星野氏館周辺に散在していた墓塔類が集められて、「星野氏累代の墓」碑が建立されました。今に有縁の人達により供養が続けられています。

八女香春線から星野川を越える橋を渡り、倉住星渓園の茶工場が見えたところで曲がると、星野氏墓所があります。来客用の駐車場もあり、どなたでも立ち寄ることができます。また、「玉露発祥の地」記念碑や虚空蔵菩薩像(こくぞうさん)もすぐ近くにあります。

Last Updated:
2022-06-20
お問い合わせ